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それは、マコトか? というブログから移動してきたのです。
神保町を一巡りした後、立川へ向った。
立川。
初めてである。
10年ほど前、熱心なトレーディングカード収集家だった頃、トレカ雑誌に「よろずカードショップ・ウイング」という店の広告がいつも出ていて、立川駅前のそこへ行ってみたいと思っていたものだったが、今の私はもうコレクターでないし、ウイングというカードショップもいつの間にかつぶれてしまったようだ。
エポック社のカードショップチェーン・「ミント」の立川店は健在らしいが。
ミントと言えば、
1年前、久しぶりに隔月発行の『スポーツカードマガジン』を買って、凄く驚いたのだった。
かつて80店舗くらい存在したはずのミントが今や23店舗しかないことには、まぁそんなものだろうと思っただけだが、カードショップの草分けである「Jo's スポーツカード」が、フレンドリーショップという名でミントに組み込まれていることに、ビックリした。
ダイドードリンコという会社が(ダイドーデミタスコーヒーは缶コーヒーの中で一番美味いと思う)、元々は大同薬品工業の中の清涼飲料を扱う一部門に過ぎなかったのに、そちらの方が拡大して独立し、今や大同薬品がダイドードリンコの子会社になってしまっているようなものである。(最近あまり見かけないが、ダイドーの自販機にタケダの「アリナミン7」が入っているのは、かつて大同薬品が武田薬品の下請けで「アリナミン7」を製造していたからであるらしい)
って、例えが判りにくいですね。
立川駅構内から出て、街の大きさに驚いた。
伊勢丹、高島屋、ビックカメラ・・・
カードショップ目当てに軽い気持ちで来ていたら、たちまち迷子になってしまいそうである。
いやまぁ、実は迷子は楽しいんだけども。
片桐はいりさんが、『わたしのマトカ』の中で、外国でバスに乗ることに関して、「地図を開いて必死に停留所の数を数えた。何番目で降りる、ということさえわかれば、なんとか目的地にたどりつくことができる。たまにバスが停留所を飛ばしたりすると、大あわてだった。でもわたしとしては、迷えば迷うほど心ときめくのである。地図を見る範囲が広がる。予想外の町を知ることができる。なによりとてもスリルだ。目的地につかなければ、また別のプランを考えれば良い。今までにもそうやって、偶然に発見したすてきな場所がたくさんあったから」と書いているのだが、全くその通りである。
私にも、偶然に出会ったすてきな所がいくつもある。
そこでモテたという記憶はないが。
さて、今回の立川の目的地はオリオン書房アルテ店である。
事前に下調べしてあったので、迷わずに到着。
目的の商品を買い求め(これを見に行った)、帰りに品川駅に寄り道してちいさなバームツリーを購い、今日はいろいろ歩き回って疲れたけど、順調に予定を消化したなと満足しながら宿泊する東横インに向ったら、節電のためとかで青いネオンサインが消えていて、予約した東横インがなかなか見つからず、少し迷子になったのだった。
鑁阿寺にやって来た。
「ばんなじ」と読む。
ジェロム・レとは関係ないはずである。
5月2日。
7時35分発のはくたか3号で高岡を出発した私は、越後湯沢から乗り継いだ上越新幹線の高崎で下車。
両毛線に乗り換え、3つ前の記事で企てていたことを実現すべく、鑁阿寺のある足利へ来た。
鑁阿寺の「縁結びの御神木・大イチョウ」の前に立ち、この木の周りを息を止めたまま3回廻れば、モテる私に変身できるのだなと思う。
しかし、大イチョウには囲いが設けられており、実際は柵の周囲を走るわけで、ざっと見たところ、一周30メートルくらいはありそうである。
無理だ。
息を止めて90メートルも走れんだろう。
それに・・・
ここに来るまでの電車の中で読み終えた『スコーレNo.4』(宮下奈都)の、取って付けたようなあまりのハッピーエンドぶりが気に入らず(第3章まではとてもいい話だったのだけど)、
モテるなんて、ケッ、という今の気分である。
だいたい、90メートルを走り切っても「モテない折紙男」から脱却できるとは考えられないほどに揺るぎのないモテない自信が私にはある。
というわけで、せっかく来た鑁阿寺であるが、無謀なことは回避し、前回訪問時に気になっていた、この寺の近くにある菓子店「虎谷」へ行ってみることにする。
古印最中でもなく古銭最中でもない、花押最中というのを買いたい。
店に入って「かおうもなか」だと思っていた「花押最中」が「かきはんもなか」と読むのだと知り、モテないだけでなく読めない(=嫁ない)折紙男であることも痛感しつつ(「鑁阿寺」も最初どう読むのかわからなかったし)それを買い求めた。
続いて、香雲堂本店で古印最中を大量購入。
折紙男と言うよりは最中男となって高崎に引き返し、高崎線の普通電車で東京へ。
17時頃、私は丸善お茶ノ水店にいた。
そこで、『だいたい四国八十八ヶ所』(宮田珠己)に「読んでも何の役にも立ちません(笑)」というPOPが付けられているのを見つけた。
歩き遍路として四国八十八ヶ所を巡ったこの旅行記の魅力を的確に表現した素晴らしいPOPである。
確かに何の役にも立たない本なのだが、私は2回読んだ。
そんな素敵な本の中に、「旅の醍醐味」について語られる部分があって、私はそこにとても共感する。
旅の醍醐味の最たるものは、今自分がその場所にいるという実感であって、
おお、私は、今、こんなところにいる!
という臨場感にこそ旅の本質がある。
準備に時間をかけずに出かけ、今日ここにいることなど数日前にはまったく予想していなかった、あれよあれよという間にここに来てしまったという意外性、数日前と今日との落差が味わい深い。
全くその通りだと思う。
おお、私は、今、重い最中を抱えてお茶ノ水の書店にいる!
うむ。
特に旅の醍醐味を感じることはなく、何をやっているのかと自分に疑問を抱いてしまう私であるが、今日を含めた4日間を東京と静岡で過ごす予定である。
実は、1年前にもほぼ同じ行程の4日間を過ごし、その時の出来事を「女体の森に到るまで」という文章にしようとして放ったらかしになっているのだが、その10ヶ月前の記事の続きを今頃になって綴ってみようと思う。
『折り紙大名』(矢的竜)という本がある。
最初、ビーケーワンの「新入荷一覧」でこの本の存在を知った時は、折り紙といっても「折り紙付き」の方の意味なんだろうなと勝手に判断し、むしろ表紙のデザインが切り紙っぽいのはどういうことだ、折り紙と切り紙は似ているようで全然違うものだぞと不審に思っただけだったのだが、その翌日だったかな、折紙作家のMさんがツイッターで触れていたので、改めて検索してみたら・・・
アマゾンの内容紹介に、
古着屋の娘・きぬの創作折り紙に魅了された佐貫藩主・松平重治は、不治の病にかかった四代将軍・家綱を慰めるための竜神を折らせるべく、きぬに手紙を書く。しかし、幕府の決まりに反したこの行動が、将軍継嗣問題ともからんで重治は窮地に立たされる…。
とある。
紙を折り曲げる方の折り紙の話であった。
しかも、著者略歴は、
『不切方形一枚折り』で九州さが大衆文学賞佳作を受賞
である。
何者ですか、この著者は?
こういう怪しげな本は是非入手したいので、書店に出掛けて実物を手に取ってみた。
帯に、折鶴のイラストと共に、縄田一男氏の推薦の言葉が記されていた。(縄田一男氏というのは、文芸評論界一番の巨漢と折り紙が付いている時代小説評論家である。たぶん)
この世には命懸けで折られる折り紙がある。
かつてない物語から生まれる感動は無限―
ラストを嗚咽と無縁で読むことは不可能だ。
で、嗚咽と無縁で読み終えた。
不可能を可能にした私である。
いやまぁ、それなりにジーンとしないでもなかったし、折紙者なら楽しめる小説だと思う。
「あとがき」によれば、九州さが大衆文学賞佳作となった短編小説『不切方形一枚折り』を長編に書き改めたのが『折り紙大名』であり、わが国の電子産業をリードするトップ企業の技術者と知り合い、その還暦目前の技術者氏の趣味が折り紙と聞いて当初は唖然としたものの、話を聞くうちに折り紙の奥深さに魅了されたことで、この作品が生まれたということのようである。
聞かされた折り紙の奥深さの中に、折紙男はモテないという事実が含まれているのかどうかは不明である。
ついでのように書き足すのだが、『百瀬、こっちを向いて。』(中田永一)という素晴らしい短編集の中の『小梅が通る』に、モテない男子が美少女と一緒にいることを忘れて弟と折り紙に興じて熱中する場面がある。そんなどうでもいい一節のある『小梅が通る』は、ラストを温かな感動と無縁で読むことは不可能な物語なので、皆さんに是非読んでもらいたいと思う。
震災で休業になっていたジュンク堂仙台ロフト店の書店員さんの、営業再開の喜びを綴ったブログを読んで、いつかこんな素敵な人のいる書店を訪ねて行って、こんな書店でたくさんの本を買いたいと思った。
仙台へは、一度だけ行ったことがある。
学生時代、東北大学に進んだ高校の同級生を訪ね、3日間を過ごした。
滞在中は、主に仙台駅近くの「アラジン」と「ダイヤモンド」だったかな、2軒並んだパチンコ店で過ごした。
いや、わざわざ仙台まで行って、「アラジン」と「ダイヤモンド」にばかり籠っていたわけではない。「ボンボン」という店でもパチンコしていたように思う。
何をやっとるか。
うむ。別に仙台でパチンコばかりしていたわけではないのだ。
仙石線に乗って石巻へ行ったりもした。
中尊寺にも足を伸ばした。その勢いで水沢まで行った。
石巻の「大同会館」や水沢の「マツヤ」でもパチンコをした。
つくづく、何をやっていたのかと思う。
本に関しては、金港堂でディック・フランシスの『飛越』を買ったはず。
いつかまた、東北に、あんな風な能天気な時間を過ごせる街が甦ったら、もうパチンコはやらなくなった私だけど、ジュンク堂へ本を買いに行こう。
晩年のフランシス作品は読んでいないので、『再起』とか『不屈』とかを買いたいな。
さて。
将来は東北で本を買いまくるとして、今現在はオンライン書店で本を買いまくっているのだが、1週間以上前に注文した商品が未だ届かない。注文品7点すべて「在庫あり」の商品だったはずなのに、楽天ブックスは何をしているのか?
Myページによれば、『読売新聞「編集手帳」(第19集)朝刊一面コラム』が取寄中と表示されているのだが、今も「在庫あり」になっているぞ。
「編集手帳」といえばだ。
3月31日のそれが、本当に素晴らしい文章だった。
リンクしておくが、実際にクリックする人は少数だと思うので、勝手にコピーさせてもらう。
生まれてまもない君に、いつか読んでほしい句がある。〈寒き世に泪(なみだ)そなへて生れ来し〉(正木浩一)。君も「寒き世」の凍える夜に生まれた。列島におびただしい泪が流れた日である◆震災の夜、宮城県石巻市の避難所でお母さんが産気づいた。被災者の女性たちが手を貸した。停電の暗闇で懐中電灯の明かりを頼りに、へその緒を裁縫用の糸でしばり、君を発泡スチロールの箱に入れて暖めたという◆男の子という以外、君のことは何も知らない。それでも、ふと思うときがある。僕たちは誕生日を同じくするきょうだいかも知れないと◆日本人の一人ひとりがあの地震を境に、いままでよりも他人の痛みに少し敏感で、少し涙もろくなった新しい人生を歩み出そうとしている。原発では深刻な危機がつづき、復興の光明はまだ見えないけれど、「寒き世」は「あたたかき世」になる。する。どちらが早く足を踏ん張って立ち上がるか、競争だろう◆原爆忌や終戦記念日のある8月と同じように、日本人にとって特別な月となった3月が、きょうで終わる。名前も知らぬ君よ。たくましく、美しく、一緒に育とう。
大震災について書かれた文章では、地震の5日後に医療支援のために陸前高田へ入った東京の看護師さんの凄まじい現実が伝わるブログ「JKTS」(←存在を知らなかった人は是非読んで!)と共に、後世にまで残したい心ふるわせる名文だと思う。
毎日がこんなにいい文章とは限らないのだが、半年分のコラムをまとめた本を早く送ってこんかい、楽天ブックス!
ちなみに、1週間前、私がとある所に送ったゆうパックも、まだ送り先に届いていないようである。「追跡サービス」を確認すると「ご不在のため持ち帰り」が連日に渡って続いている。そろそろ、こっちに戻ってきてしまいそうだ。
私にとって特別な「宅配便と相性が悪い4月」になんてならないでほしい。
仁科亜希子が38歳の時に子宮頸がんを患ったことや、静岡県の東部が中部電力ではなく東京電力の管轄であることを、漠然とではあるけれど原子力発電所の構造を、そんなことを知ることになろうとは想像も出来なかった3ヶ月前。
新年を迎えた私は、年賀状に、こんなことを書いた。
それを実行すべく、3月19〜21日の3連休に鑁阿寺の「縁結びの御神木」の周りで運動してから東京と静岡を巡ってそこで出会う人にモテようと計画し、
熱海の東横インに宿泊予約を入れ、
高岡→越後湯沢→高崎→足利→小山→東京→熱海→名古屋→高岡
という少々ややこしい片道乗車券を買ったりして気分を盛り上げていた。
そして、出発8日前の午後2時55分頃。
訪ねてきた信用金庫のお兄さんと、こんな会話を交わした。
「揺れましたか?」
「何が?」
「今そこで会った人に『地震があったね』と言われたもので」
「いや、何も気付かなかったけど」
(後に、こちら辺りが震度2と発表されたと知るが、多分「1」に近い「2」だったのだろう。静かにしていた人は揺れを感じたそうだ)
10分後、立てかけてあった金網が突然パタンと倒れ、「あれ?やっぱり地震の揺れがあってズレていたのかな?」と思う。
パソコンのスイッチを入れ、現れた Yahoo! トップページに「津波情報」の表示があり、クリックして目に入った日本地図の三陸沿岸に赤いラインがあり、赤って警報だよなぁと思いながら「地震情報」を探ると、そこには「震度7」とあって、ギョっとする。
更に、震度6とか5の地域の広さにもっと驚く。
ただ、この時点の私は、まだ呑気に「足利が震度5強か。鑁阿寺や香雲堂本店に被害はないだろうな?」くらいのことしか考えていなかった。
夜、テレビに映し出された気仙沼の火災を見て、自宅が火事に遭った経験のある者として「あぁ〜」と呻きながら手を合わせたりはしたけれど、頭の中を一番に占めていたのは、首都圏の鉄道が全面的にストップしていると知って、これから余震もあるだろうから来週の旅行は無理かもしれないなと思うことだった。
その後、計画停電による鉄道の運休があり、静岡での震度6強などもあって、完全に「モテようと企てて、結局モテないであろう旅」を諦め、購入済みの切符をキャンセルしようと決意したところで、思い出した。
5年前だったか、大雪で東京行きを断念して「首都圏往復フリーきっぷ(グリーン)」をキャンセルしたら手数料1490円を取られ、間違いなくその分を損しているのに、戻ってきた23990円が儲かったような気になったことを。
よし。
今回の切符の払戻し手数料がいくらなのか知らないが、2万円余りは戻って来るはずである。
それをそっくり、大震災の義援金にしよう。
こんな健気な幼稚園児のエピソード(↓)を知って、涙したところであるし。
埼玉県在住の人のTwitter。
募金箱の前にて、
幼稚園くらいの男の子と母親の会話。
母:「貯めてたのに本当にいいの?」
子:「3DS我慢する。これで地震の人の家建てる。」
そう言って、お年玉袋から5000円を寄付。
母:「偉いね。地震の人、これで寒くなくなるね。」
男の子思わず号泣。後ろにいた私、大号泣。
駅に行き、切符のキャンセルを申し出ると、そんな事情であるため手数料はかからないと説明され、それは好都合、寄付が増やせると思ったのだったが、迂闊なことに、実は今回クレジットカードで切符を購入していたので、銀行口座から一旦引き落とされた金額が後から戻されるだけのことになり、現金を手にするわけではないので、勘違いの勢いによる寄付ができなかったのであった。
本来であれば熱海にいるはずの今日、まだ義援金を出していない私は、被災地支援競馬の名の下に開催された阪神競馬の重賞レース「ファルコンステークス」の馬券を買って、とりあえずいくばくかの貢献をした。
・・・はずであった。
ところが、である。
私が軸馬にしたアフリカンハンターが発走除外となり、私の馬券はそのまま返還されてしまったのである。
またしても、寄付できなかった。
こりゃ、明日は何としてもと思い、どこで寄付をしようかと探っていて、DMMで募金するのがいいのではないかと決めた。
「購入時等に送信されるメールは募金にはそぐわない内容となります。ご了承ください」
とあるのにも、それはいったいどんな内容なんだと興味をそそられる。
DMMというのは、アダルト商品の通販サイトのはずだしね、基本的に。
そんな妄想を促すようなメールなんだろか?と、福島の原子炉が冷却されつつあるらしいことに安心する一方で自分の炉心を少し熱くしながら、家で思いを巡らせているところである。
3連休、日本海側は好天だった。
今日の夕方、晴れているから大丈夫だと考えて自転車で近くのドラッグストアに向った途端に雪が降ってきて、帰り道では本格的な降り様となり、真っ白な姿になって家に帰り着くことになったりはしたが、その数分後には雪は止み、基本的に好天だったのである。
JRの運行もほぼ正常だったようで、静岡に行ってこれたなぁと思うが、今更どうしようもない。
問題は、休みの間に多少なりとも進めようと考えていた確定申告の作業を全くやらなかったことの方で、毎年同じことを繰り返しているので最終的には何とかなるとわかっているのではあるが、悩み多き青春を送っている私である。
って、誰が青春やねん。
悩み多き壮年というか初老というか・・・
さて。
おっさんが悩む姿は全く美しくないが、悩む若者の姿がおっさんの目には輝いて見えたというお話。
休みの間に『神田川デイズ』を読んでいた。
冴えない若者を描き出すことに長けた豊島ミホのこの小説、3年前に買ったけど読まないままの単行本を持っていて、2ヶ月前に書店で文庫本を見つけて手に取ったら三崎亜記の解説がとてもいいような気がして、家に帰って単行本を探したら見つからなくて、結局文庫を購入したのだった。
三崎亜記が活動休止中の著者に贈る温かいメッセージのような解説が素晴らしく、それに応えた豊島ミホさんのあとがきもとてもいい。
文庫を買って良かった。
そして何より、こんなに素敵な作品を読めて良かった。
冴えない大学生の日常を描いた物語なんだろうけど、遥か昔にそんな学生だった自分には、彼らの過ごすパッとしない日々がとてもまぶしい。
一日を普通に生きられることが、それはとても幸せなことなんだと、今は思う。
しかし、である。
このところ『グラデーション』(永井するみ)とか『六月の輝き』(乾ルカ)とか、若い女の子の物語に共感しまくっているのは、おっさんの正しい幸せなんだろか?
先週の日曜日、家の前と家の裏側すなわち工場の前、両方の除雪に延々と追われていた。
とりあえずすっきりさせても2〜3時間後には同じ状況になっているのにうんざりしていた。シシュポスの岩みたいなものだった。
それが翌朝にはもっと凄い積雪になっていて(夜中に60センチくらい降ったと思われる)、で、その日にいろいろあって、何もかもが嫌になった。
2月の3連休またはその翌週に金曜か月曜を休みにして、三島の佐野美術館まで出かけて「幕末・明治の超絶技巧 世界を驚嘆させた金属工芸」という展覧会を見ようと去年から企てていて、JRが雪で混乱しませんようにと願っていたのだが、鉄道ダイヤがどうこう以前に、すべての気力を失くしてしまった。
もうどうでもいいや。
この展覧会は後に大阪へ巡回するし、久しく訪ねていない伊豆へは3月か5月に改めて行くことにしよう。
『きことわ』(朝吹真理子)や『叫びと祈り』(梓崎優)といった評判の本を読みかけても少しも入り込めない。
仕事は普通にこなしているけれど、腑抜けになっていた。
そんな時、何がきっかけで予約したのかサッパリ思い出せないのだが、ビーケーワンから届けられた『六月の輝き』(乾ルカ)を手にとってみた。
著者を『イニシエーション・ラブ』(乾くるみ)の人と混同していたが、むさくるしいおっさんではなく、宝塚の男役みたいな人のようである。
あの日を境に雪は降り止んでいたのだが、日に日に気候が和らぎ、『六月の輝き』のページをめくる毎に荒れた気分も治まっていき、一週間が過ぎて日差しの輝く今日、読み終えた。
優しさにあふれた素晴らしい物語だった。
本を読んで惹き込まれて涙が流れることは珍しくないけれど、涙が止まらないことはあまりない。
もう一度まっさらな気持ちで読めるように、時間が戻ったらいいなとさえ思う。
中盤、2人のヒロインの片方、不良化した中学3年の美奈子と繁華街の顔役とがこんな言葉を交わす。
「おまえ、あの町からわざわざ遊びに来てるのか」
「そんなの私の自由でしょ」
「自由っていうのはな、なにをしても勝手だということじゃない。本当に自由なやつってのはここが、心が自由なんだよ」
「自由」という言葉の説明になっているようでなっていないのだが、このフレーズは、小学5年生の時に仲違いした幼なじみの美奈子と美耶との絆の芯をなして、読者の深い感銘を呼び起こす。
今日、私の心は自由だ。
急にまた気分を変えて、来週遠出する気にはならないけども。
また雪になるかもしれないしさ。
でも、今度はどんなに降っても、きっと心は荒れない。
後で自分が読み返した時、あるいは、たまたまこの記事を目にした誰かの気分が悪くなるようなことを書くのはよくないと思うので、具体的な原因は記さないけれど、今日はイライラしている。
何だかすべてに対してキレそうというか。
なので、気分転換を試みるべく、普段使用しないこのブログに何か綴ってみることにする。
思い返せば13日前。
目が覚めて点け放しのラジオの音声を耳にしながら時計を見ると、6時40分。
あ、なぎら健壱の「あの頃のフォークが聴きたい」を聞き逃したなと思ったのである。。
毎週日曜の朝6時15分頃、NHKラジオでそんな番組が流されている。
全然知らない歌ばかりだけれど、昔のフォークソングは耳触りがとてもいいのだ。
6時30分からの「ラジオ体操」も、日曜は岡本美佳先生の担当だったのになと残念に思いながら、あれ?と気付く。
今日は日曜か?
うん?土曜日かな?
・・・・・
違う、平日だ。
仕事だ!と、慌てて起き上がったのだった。
それにしても、火曜を日曜と勘違いするというのはどうかしている。
最近、何もしない休日というのが全くないので、身体が休みを欲しているのかもしれない。
その2日後には、夜中に目が覚めた時、頭の中の一部が空洞になったような感触があった。
「アルツハイマーにはアリセプト」などと思い浮かび、何でそんなこと知ってんだと自分のムダ知識に酔いつつ、何時だろう?と思いながら時計を見ずにラジオのスイッチを入れたら「3時のニュース」が流れてきて、そのトップ項目が「若年性認知症が云々」というニュース。
妙な偶然に驚いて、頭の空白が埋まったようでもあり広がったようでもあり。
あ、やっぱり上手く埋まっていたのかもしれない。
というのは、今、イライラした時の対処法を思い出したからだ。
本屋大賞候補作にもなっている『ペンギンハイウェイ』(森見登美彦)の主人公・小学生のアオヤマくんが友人にこんなことを語る場面がある。
「怒りそうになったら、おっぱいのことを考えるといいよ。そうすれば、心がたいへん平和になる」
うむ。
何だか気分が落ち着いてきたぞ。
もちろん、小学生の変人ぶりに心が和んだからである。
決して、頭の中の空洞が桃色に染まったからではない。
もうすぐ参議院選挙投票日である。
自由党合流後の民主党など一瞬たりとて支持したことはないが、かといって自民党を推しているわけでもないし、公明党や共産党は私には無縁だし、社民党は論外だし・・・という話をしようというわけではない。
参議院選挙といえば・・・ということで思い出したことがある。
3年前の参議院選挙投票日は、私が初めて伊豆を訪ねた日だったのである。
もう7回くらい行ったのかな?
最初がわずか3年前だったとは、実に意外な気がする。
その前日の出来事は当時のブログに綴ってあるが、静岡駅の北側でも南側でも女性党の一団が派手にチラシを配っていたのをよく憶えている。泡沫政党も一応選挙運動をしているんだなぁと思ったのだ。
サッカーのアジアカップが開催中で、この日の夜、日本−韓国の3位決定戦があって、延長そしてPK戦の末に敗れた試合をホテルのテレビで見ていて物凄く疲労したのであった。
4位に終わったとは言え、あの大会での日本代表は圧倒的にボールを支配していたので、観戦していて心躍るチームだった。
オシム監督の下、ワールドカップ南アフリカ大会の頃には、センセーショナルな日本代表に更に進化するかもしれないという希望があふれていた。
で、結局、岡田監督の日本代表が南アフリカで健闘したのであるが、あのままオシム体制が続いていたらどうなっていたのかなぁと思う。
素晴らしいサッカーを披露したけれど勝てませんでした、だったかなぁ・・・
サッカー観戦で疲れた翌朝、三島と熱海のどちらへ行こうかと迷いながら、今から熱海に向ってもリゾート21に乗れないので三島で下車し、駅から出たら隣りに伊豆箱根鉄道の駅があったので、よくわからんが・・・と思いながら修善寺へ、となった。
うん。
そんなに強く意識していたわけではないが、私は、ずっとリゾート21に乗る機会を窺っていたのだった。
そんなお話を、これから何度かに分けて書いてみよう。
机の引き出しの奥に仕舞ってあったこのハガキのエピソードから、スタート。

6月19〜20日は町内の祭りで、今年は何年ぶりかの神輿担当であった。
神社から神事の会場となる公民館まで神輿を運ぶ際(神社に戻る時もだったが)、町内に3つある寺院の前を通る度に、宮司さんが立ち止まって一礼しているのに気付いた。
寺の住職さんも通りに出てきて神輿に手を合わせているし、神道と仏教の関係、そういうものなのか?
唐突に大層なことを申し上げるが、世の中から宗教というものがなくならない限り、福島瑞穂がどれだけ能天気に「戦争はいけません。平和が大切です」と唱えようが、小沢一郎が「戦争をやる暇があるくらいなら選挙をやれ」と(たぶん)思っていようが、戦争はなくならないと私は思う。
「日本は」なのか「私の住む地域は」なのかは知らないが、宗教間の対立がなく、平和である。
神社のお話。
以前、鎌倉の鶴岡八幡宮へ行こうと考えて、こんなことを書いた。
この時点での予定から遅れること5ヶ月、昨年4月に鎌倉へと出掛けて折鶴守などを授与していただいたのであるが、家に帰ってから、「お姉さまが大きくなりませんように」とお願いすることも、源実朝を暗殺した公暁が身を隠したとされる大銀杏を見るのも忘れていたことを思い出したのである。
まぁ大銀杏は、意識していなくても目に入っていたのだろうけれど。
今年1月10日、再び鎌倉を訪れた。
北鎌倉駅で下車し、円覚寺や建長寺を見物しながら鎌倉駅方面へと歩いたので、鶴岡八幡宮には裏口というか本宮の横手から境内に入った。
驚いた。
本宮から見下ろすと、元日から10日を過ぎているのに未だ初詣客は列をなし、鎌倉駅のあたりから手前の大石段までギッシリと人の波である。
本宮参拝の列に割込むわけにもいかず、ハローキティの折鶴デザイン御守を買い求めた後は、上りの一方通行と規制されている大石段ではなく脇の道を通って下に降りた。
そして、何となく本宮を振り返った時に、大銀杏が目に入った。
同時に、お姉さまに関する願い事を思い出した。
私は、大銀杏に向って、祈った。
「お姉さまが大きくなりませんように!」
2ヵ月後、樹齢1000年とも伝わる大銀杏が倒れた。
私の無茶な願いがプレッシャーとなったのであろうか?